理学系の物理と工学系の物理

理学系の物理と工学系の物理、似ているようで違うんだな、これが。

学部時代のカリキュラムで言えば、工学系の方が圧倒的に蜜だ。
実際、課題なども多く、この波に乗り切れずに留年する学生も多数。
だから、ある程度の段階までは、実務よりの知識などは工学系・応用系の物理学生の方が理物(理学系の物理)の学生よりも多く持っている。
工学系の物理の方が講義なども工夫されているような気がする。

理物系の講義も何度か覗いたことはあるが、あれは独特だったな。
教員に果たして教える気があるんだろうかと思うくらい。
「わかる人だけついてくればいいよ」というある意味放置気味のスタンスなのだ。

ところが、ある時期を境にこの関係が微妙に崩れていく。

具体的には、卒論〜修論を取り組んでいるくらいからだろうか。

この時期に理物の学生は(本当に遅まきながら)講義で習った内容と現実の物理現象が結びつき始めるようだ。

これから、彼らは加速がついていく。
まずは、自分が取り組んでいる測定系などの技術的な知識。そして関連論文で登場する技術の知識。
こういったものをどんどん吸収していく。

「ああ、物理の知識はこう使えばいいのか」という感じなんだろう。

基本的な概念が身についているだけに、ここからの吸収力はすごい。

実務的な知識という意味でも

優秀な理物の学生 >>> 一般的な工学系応用物理の学生

のような逆転がおこる。

また、社会人になるとこの差は決定的になる場合がしばしばある。

ある程度、オリジナルなアウトプットを出さなければならないとき、物理的な物の見方とその現実的な適用ができる人の方が有利なのはいうまでもないでしょう。

工学系の人が良くも悪くも月並みな発想しか出ないところで、(優秀な)理物系出身者は「楔を打ち込む」ようなキレのある発想をする。
(ただ、いっておくと、平均的には、応物系出身者の方が「使える」とは思う)

科学史的にもこういった例はいくつも見られる。
もっとも有名なところでは、かの有名なクリックによる DNA の構造決定だろうか。
クリックは元々は物理出身で、X線回折による化学構造の決定に関しては生物系の研究者よりもはるかに多くの洞察力も持っていた。
ロザランドフランクリンがいくら丁寧に実験しようとも、化学構造はもとよりその生物学的(遺伝学的な)な意味に関してはまったく明快な結論に到達はできていなかった。
ここらへんよくわからないという人は『二重らせん』を読んでみるといいと思う。
なお、日本ではクリックに対してネガティブな印象を持っている生物系研究者がいるようだが、単なる妬みだろう。
妬むくらいだったら、物理勉強すればいいだけなのにそれすらしない。
こんな態度が常態化しているから、コロナワクチンの開発でも後手に踏むことになったのだろう。
博士号ガーの人の主張がキツい』でも触れたが、この手の態度に「虫酸が走る」と公言しているハードサイエンス畑の人は多いし、一般の人も支持をまったくと言っていいほど得られれていない。
アウトプットも出さないで同情を買うようなことに執心していては、マトモな大人が取り合うわけはない。
せいぜいが研究者崩れから薄っぺらい共感を得られる程度だろう。

話が脱線した。
ちょっと強引にまとめると「同じ物理を学ぶのでも理物系と応物系は違う。そしてそれは、未知の要素の強い現実的な課題に取り組むときのアプローチや結果の出し方に差が出る」といったところでしょうか。

工学系の物理の人が、理物にジェラシーやコンプレックスを感じる(人前では言わないがこう感じている人は多いと思う)のはこういうとこにあるのかもしれない。

 

ANN2b

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