近年の精神科病院運営のトレンド

精神科病院というとキャリアの浅い段階では、大学医局関連病院やある種のブランド病院(松沢とかさ)に目がいくが、数として多いのは私立の精神科病院だ。

指定医や専門医を取った後、こういった施設への就職が現実味を帯びてくる。

中には親の後を継ぐとか医業とは全く異なるキャリアプランを考える精神科医もいるかもしれないが、そういう人でも一時的にこの手の施設には関与するのではないかと思う。

では、そういった施設の具体的な情報がオープンに流通しているかというとそんなことは全くなく、学会などでの伝聞程度でしか内情は伝わってこない。

都心部の病院外来やクリニックのある意味「地雷」職場に関しては某先生が記事にしている。しかし、盗聴なんて誰も想像つかんよね(笑)

精神科関係はなかなか外部第三者の監視が効きにくいので、こういった出鱈目がまかり通りやすい。

で、そういった精神科病院の話。

山奥の精神病院でひっそり行なわれているマイナー療法

最近では滝山病院の出鱈目な運営が明るみに出されて社会問題にまでなった。
ここまであからさまな患者権利軽視の運営をしているところは多くはないが、ベースとしては似たかよったかなのではないか?というのが、私の見解。

けっこう多いのは院長の「専門」とやらをウリの一つにしている病院。

トラウマ焦点化認知行動療法、パラメータ最適化ECT ・・・あたりならいいのだが、ここでいう「専門」は、学会に演題出した程度、せいぜいで内輪でワークショップ開いた程度の「専門」治療なのだ。

かろうじて森田あたりだったら許されるかなあとは思うが、そのレベルじゃないからね(笑)。

「音楽療法を契機に惹起された感性変容を重視した作業療法」とかさ、そんな感じ。

もちろん、こんな治療にエビデンスはない。

困るのは、面接などで「先生は、こういった治療に関心がおありですか?」とか「入職した際には、手伝っていただけますか?」と半ば強要されるところ。

数年前に郊外のマイナーな精神病院を回っていた時に、こんな感じの病院にけっこう出くわした。

いやあ、エビデンスも何もない治療法ってそもそも治療法として成立しているのか?という疑問が沸き起こったが、その場ではなんか適当に返事していたと思う。

後で、丁重にお断りしたけどさ。

そんなに手伝って欲しければ、論文化してエビデンス確立すればいいと思うのだが、スタッフにそこまでの力量はない。

ならば、変に「専門」なんか掲げずに普通に治療していればいいと思うんですけどね。

ああいうのを有り難がって入院する患者(や家族)もいるのだろうか。

個人的には、なんか問題起こって巻き添えくらうのはイヤなので、今のところこの手の病院で働いたことはない。

(追記)よくわからないマイナー療法でも「ギリ森田まで」と上で言っていたが、最近はそうでもない。入院森田はダメなんではないかと思うようになってきた。

ちなみにどんな凝った森田をやろうが保険点数的には入院精神療法の扱いになります。
エビデンスがない、ということはそういうことなんです。

院長傀儡型精神病院

ところで、治療上意味があるか疑問だと上で述べた院長の「専門」であるが

A その院長を雇いれ、「管理者」であり続ける「報酬」のように働く

B その程度の「専門」も持たない医師を抑え付ける(管理する)道具になる

という意味では、組織運営上の意味があるかもしれない。
内輪では、そういう特徴を持つ精神病院を院長傀儡型精神病院などというようになった。

慢性期病棟→認知症病棟コンバートの弊害

ところで、なんで、こんな無理矢理な形でトホホな「専門」を売りにするかといえば、精神科病院への需要が激減しているからだ。

例えば、統合失調症は「100人に1人はかかる疾患」として有名だが、向精神薬の進歩は著しく、入院しなくてもいい「軽症」の人が増えている(統合失調症の軽症化)。

外来で治療が完結している患者さんをわざわざ入院させる必要はないし、そもそも日本の精神科病床の多さは国際的に見ても群を抜いている。
国としても精神科病床は削減したいのだ。

このような状況の中で一つの解決策は「認知症患者の取り込み」だ。

具体的には、統合失調症の慢性期病棟などを認知症病棟にコンバートする。

慢性期病棟→認知症病棟へのコンバートは、最近のトレンドと思われるのでもう少し詳しく書く。

認知症患者の徘徊・暴力はある種の精神科疾患に通じるものがあり、これは一見すると妙案に見える。

実際、まあまあ上手く運営されている施設もあるのだが、私がアルバイトなどで見たところ、全く出鱈目な運営になっているところが多い。

出鱈目な運営になっている施設に共通して見られる特徴は

身体合併症の治療が水準に達していない

点だ。

そもそも統合失調症は比較的若い年齢(10代後半〜20代)で発症する大変経過の長い疾患だ。
陰性症状(自閉・人格水準の低下など)主体の慢性期に移行したとしても、30代〜50代あたりが中心で、この年齢であれば身体症状が問題になることはほぼない(まあイレウスには悩まされますが)。

ところが、認知症病棟となると年齢層としては 60-90代と一気に高齢化が進む。
認知症病棟といっても根幹的な治療方法のない認知症では、病棟で治療に要する時間の大半は、(誤嚥性)肺炎・心不全・腎不全・糖尿病・・・といった身体症状に費やされる。

やってみればわかるが、精神科医の能力より一般内科の能力が求められる。

そして精神科医の多くは身体合併症の治療が苦手なのだ。

もちろん、精神科医だけではなく、看護師・院内薬剤師・PSW といったスタッフも認知症患者の取り扱いには基本的には慣れていない。

「安直に慢性期病棟→認知症病棟のコンバートを進めても上手くいかない」と述べてきたのにはこういった背景がある。

それでも、間違いに気がついて潔く病棟縮小や廃業でもしてくれれば、大きな問題になることもないのだが、まともな医療も提供できないにもかかわらず、「保険医療機関」として事業を継続している施設は多い。

個人的にはそういった施設は「医の倫理」を失っているように見える。

 

ANN2b

(追記)PSW の質のひどさはあちこちで言われているが、nomad 先生が『DNAR=治療不要とミスリードさせ患者さんに不利益をもたらす困った人たち』でかなり詳しく書いている。興味のある人はぜひ一読を。
病棟コンバートしても看護師さんや薬剤師さんは、時間と共にそれなりに適応していっているように思うが、PSW は適応できない人が多い。
私が思うに
・医学理系寄り(生理学・解剖学・・・)のトレーニングを受けていない
・そもそも基礎学力が低く資格取得後にいくら自己研鑽に努めても必要な知識を習得できない
あたりが原因ではないかと思う。

(追記2)この記事で取り上げられている病院(福慈会 メンタルホスピタルかまくら山)もやはり認知症に手を出して失敗しかけているとのこと。

しかし、センセ、これは流石に ksbk でしょう。。。

SNS の広告とアカウントに関するよくある誤解

FaceBook 案件

先日、FaceBook(FB) 運営より一通の報告を受け取った。

こんなもの↓。

もう3年も前のことなので、 まるっきり覚えていなかったのだが、朧げになっている記憶の断片をつなぎ合わせていくと次第に思い出していった。

確かこんな(↓)感じだったと思う。

当時 FB のとあるグループ(確か地域情報の共有みたいなやつ)に興味を持って所属していたのだが、そのグループの運営方針が偏っていた。
赤で潰した会社に関連する企業行動がかなり強調され、具体的にはその企業が「推し」ているイベント・タレントなどに関する投稿が不自然なまでに多い。

不審に思って調べてみると、管理人がそこの会社の役員だったかなんだったかというオチ。

それで、グループの運営方針や表示されている広告などがおかしいんじゃないですか?みたいな報告をしたんだと思う。

これダメなのは、あたかも特定の企業とは無縁の趣味の延長みたいなグループとされていたのに、実態はその企業の広報の一環として使われていたというところ。

最近の SNS 広告は便利で、広告自体を特定の条件で表示させることができる。
広告の表現自体はさほど問題なくても、上記のような特定のグループにだけ表示させることは可能だし、そのような行為はけっこう倫理的に問題になるだろう。

参加者に誤認させてしまうからだ。

今回はこれが FB 側の広告ポリシーに違反していたと判断されたわけだ。

SNS は無料で便利なんだが、運営会社はもちろん慈善事業でやっているわけではなく、収益のある程度の部分は広告料収入が占めている。

それゆえ SNS 広告には適切なガイドラインが求められているのだが、今回のように「あたかも個人活動を装いながら、特定の企業の広報に使われている」というのは大抵の場合、禁止されている。

しかし、異議申し立てをしてから、結果が出るまでほぼ3年というのはあまりに遅い気がしないでもない。

Twitter アカウント絡み

ここまでいったので、ついでで言ってしまうと、Twitter のアカウントに関してよく間違われていることがある。

今ではもうこの制限はなくなったのかもしれないが、一昔前まで建前上は「複数アカウント所持は禁止」だったはずだ。

建前上は、と書いたのは、その当時でも広告出稿者に関してはこの制限はなかったから。

というより、広告出稿者に関しては複数アカウントの所持は推奨されていた。

これは冷静に考えると当たり前の話で、例えば私の個人アカ 猪股弘明@H_Inomata

当直明けで頭回ってねっす?

のようなかなりどうでもいいツィをした直後に

Mac 向け DICOM アプリの決定版。
コスパ最強、HorliX!

のようなグリグリの広告ツィをして配信したらまずいでしょう(笑)。
実際にしたことはないけどさ。

上の FB の件のように、あたかも個人の意見のようでありながら、実際は特定プロダクツの広報に該当してしまうから。

さらに悪いことに私は現役の医師ってこともある。

広告を目にした人が「現役医師が開発に関与しているんだ」という変な期待の上乗せされてはたまったものではない。

ちなみに air-h-128k-il@air_h_128k_ili は広告アカとして設定していたこともある。

実際には、あまり広報効果がなく現在ではそのようには使ってないんだが、これをどのように考えたらそういう結論になるのかわからんのだが「なりすまし」と捉えた輩もいたようだ。

一時期、かなり粘着だったので弁護士の先生にも相談したんだが、「この程度のこともわからないで、一方的に悪意のある言い方をするのは、知的に問題あるか社会的なモラルに問題ありそう。かえって向こうの評判下げているだけのようなので放置されたら?」とアドバイスいただいた。
さらに「ネット上で閲覧できる他の資料も探して目を通したが、トンデモな内容。正直言ってこの人、精神的な障害をお持ちでしょうか?」と逆に聞き返されてしまった。

実際、ある種の精神障害者がネット上での自己表現に拘るのは傾向としてはあるんだが、実態はどうだったんでしょうね?

少々、話が脱線したが、ある程度、SNS を使い込む場合には、知っておいた方がいい事柄だ。

 

猪股弘明
精神科(精神保健指定医)

 

博士号ガーの人の主張がキツい

以前にも書いたが、私は、理工系とも医学系とも博士課程には進んでいない。
医学士と工学修士でお腹イッパイで、あえて博士まで取ろうと思わなかったというのが根っこにある。
もう一つは、博士課程で充実した時間を過ごしている未来がどうしても予想できなかったからだ。
(巡り合わせもあるだろうが)全ての博士課程で素晴らしい指導者に恵まれ、研鑽を積めるわけではない、と考えていた。

なので、修士が終わり、社会人としても一仕事終え、次のライフステージをどう過ごすか?と考えたとき、「博士課程がわりに医学部学士編入制度を使おう」と割と素直に考えた。

もちろん、研究の愉しさは知っていたから、そういった営為の全てを完全に捨てるのは惜しいと考えてはいたが、何とかなるだろうと思っていた。

実際、私の進んだ医学部はカリキュラム上、研究室配属のようなものは必須ではなかったが、つまみ食い程度であるが、研究の真似事のようなものもやらせてもらえた。義務ではないというのが幸いしたのか、それなりに満足した二度目の学生生活を過ごすことができた。
もともとそんなに期待していなかったから、そういったことが自然に楽しめたわけだ。

で、本題に入るのだが、研究者崩れ(特に生命科学系)で学士編入枠を使って医学部に入る人が多くなってきたのだが(私が編入した頃はまだ物理系が多かった)、この人たちの主張が違和感ある、というかハッキリ言ってキツい。
すんなり医学部の教員系に進んだ人はそうではないのだが、通常臨床業務やりながら、でも、研究生活に入るのでもなく研究のことを未練がましく引きずっている人がいて、なんて言ったらいいんだろうか、そういう人たちが発するルサンチマン的な雰囲気や言動がなんともたえられない。はっきり言って不快だ。
さりげない提言程度のものならいいのだが、こういう人に限って現在の日本の研究政策に何かと強い意見をいう。

でもさ、本質的に無関係の人が何かいったところで、何も響かないと思う。

そして、ここら辺が嫌なのだが、そんなに自分の主張を通したければ、実践(臨床の傍、論文をものするとか)で示せばいいと思うのだが、なぜかそれもせず、評論家みたいなことをやっている。
その延長でマスコミに出たがる
その自己顕示の根拠が「長く研究生活を続けている」、「生命医学系の博士号を持っている」程度のものなのだ。

この人たちが言いたいのは詰まるところは「博士号を持っているから優遇せよ」なのだ。

よく考えれば、というか深く考えるでもなく世間的にこういう論理はまったく通っていないし、今後も通ることはないだろう。
以前にも書いたが、メーカーなどでもなるべく博士号持ちを意識して取ろうとしたことはある。でも結果は散々だった。
優遇されたいなら、明快なアウトプットを出せばいいだけなのだ。
そして、これがある意味醜悪なのだが、こういう主張をするオピニオンリーダー的人物が、ほぼほぼ例外なく何の目立った業績もあげられていない
そして、この点を突っ込まれると言い訳しかしない。
「生命系なので環境が整ってなければ研究はできない」、「紙と鉛筆と計算機でやるようなことは大学院で習わなかったから」などなど。
少々、環境が不利であろうとも研究を遂行できるというのが博士号持ちのウリではなかったのか?

私が尊敬する医師(やメーカー時代の上司)の方々は、博士号の有無にかかわらず、臨床(や生産現場)でのちょっとした気づきから、適切に問題を設定し、時には基礎的な領域に踏み込みながらも、最終的には、影響力のある結果を出している。

むしろ、予算や環境を整備し支援されなければならないのは、こういった人たちだろう。

決して「博士号があるかないか」ではないのだ。
結果を出したか、あるいはちょっとした支援でそうなれる人材に支援する、基本的な考え方はそうであるべきだろう。
何を履き違えているのかと思う。

 

ANN2b

無症候性感染者が増えると感染爆発がおこるリスクが増大する

SNS でけっこう支持されたようなので、加筆・修正の上こちらにも転載。


感染症の数理モデルに興味持っている人意外に多いなと思ったんで、ちょっと書きます。(なお、私は感染症の専門家でもなんでもないです)

まず、感染症の数理モデルは既にいくつかあります。有名なのは SIR モデルや SEIR モデルでしょうか。https://ja.wikipedia.org/wiki/SIR%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%AB
あたりを参考に。


何やら、小難しそうですねw

でも、このように数学的に定式化することの利点はあって、それは計算機でシミュレーションできるということです。
ブラウザで使えるシミュレータも用意してあります。
よかったら
https://covid19-seir-model.netlify.app/
で遊んでみてください。

具体的な数値をどう入れていいかわからないって方は下図を参考にしてください。
現在の日本のコロナの感染状況を念頭において1億人の集団で、100万人感染者(緑)がいた場合に設定してます。

R=5.0
R=2.5

R をどう取るかが悩ましいのですが、ここではピークがどう変わるかわかりやすくするため R=2.5 と R=5.0 としました。(実際にはちょっと前-2020/12-で 1.1 。年明けの今はもうちょっと増えていると思います)
なお、ここでは簡便のため R=β/γ としてます。
γは定数(1/γ が平均感染期間)なので、β(感染率)を変化させることで R をコントロールしよう、というのが感染症コントロールの基本です。(私は感染症の専門家でもなんでもないので、日本の「専門家」とは説明の仕方が違うと思いますが、たぶん、数式的にはより忠実にモデルにそって説明していると思います)

ここまででも日本の感染症対策の問題点は幾つか出てくると思います。

・感染者を大雑把に100万人としたが、日本は検査絞り込んだおかげでこの推定が精度よくできない

・モデルとしてはβの方が本質的だが、一部の「専門家」がRtを重視しすぎたせいで、モデルに遡った考察ができにくくなっている

(R が固定値ではないのは理論に遡って考えると明らかでしょう。ウイルスが遺伝子レベルで変異をおこして感染力が変化した場合はもちろん感染のフェーズが変わっても後述するようにRは変化するはずです)
などなど。

一部のコロナ「専門家」と私が見解が異なるのは、「無症候性感染者が増えると、単純な接触制限しただけでは春先(第一波の時)ほど効果は出ない」という点です。

例えば、ある人が10人に接触したとして、そのうちの1人のみが感染者だったとする。その1人を検査で確定して隔離してしまえば、残りの9人といくら濃厚に接触しようが感染の拡大は起こりません(第一波の頃)。
ところが、9人のうち2人が実は「隠れ」感染者だった場合(現在これに近い状態になりつつあると私は思います)、今、注目している1人も感染する可能性が高くなります。もちろんこの場合は感染拡大は止まらないでしょう。

それはともかく、感染が急激に拡大しているときに過去データの延長(外挿)で Rt=1.1 として計算するのはちょっとおかしい・無理があるというのはご理解いただけるかなあと思います。

ついでで言っておくと、外国では年齢別・地域別にβなどを細かく設定して微分方程式に踏み込んでシミュレーションしてます。

駄文長文、失礼しました。

 

猪股弘明
医師:精神科(精神保健指定医)
HorliX, OpenDolphin-2.7m 開発者


? 参考
そもそも SEIR ってなんぞやって人は
感染症数理モデルの基本 SEIR をなるべく数式に頼らず直感的に理解する
をどうぞ。

? 質疑応答(某所ではこんな感じでした)
Q シミュレーションをどう活用したらいいか?

A シミュレーションってやりっ放しってわけにいはいかず、大抵の場合は検証作業が必要です。なのですが、現在、これはできにくい状況になってます。

例えば、今日(2021/1/14)の東京都の陽性者数は 1502人ですが、検査件数は(確定ではないが)3849 件。単純に陽性率計算すると 39%ほど(集計フローの混乱なのかちょっと高いですね)。検査件数が 10000件なら、3900人陽性者になる。

単純な SEIR シミュレーションで出てくる数値は、対象とした集団のなかでの暴露者数や感染者数だから、検証のためには「感染者数」の確定数値か無作為抽出に近い「陽性率」どちらかがわかっている必要があります。

Q 広島の取り組みについて、全否定されてるドクターがコメントされていました。PCR検査を確定診断するものであってスクリーニングするものではないと。

今後の検査ポリシーで何が正しいのかって難しいと思いますが、経路不明が過半数を超えた時点で、濃厚接触者中心の疫学的調査ってそれほど効果ないんですよ。

これダメなのは、分科会の「専門家」が「今は市中感染がメインとなってきたから、今後は◯◯の検査に切り替える」ってはっきり言わないことです。

Q なんとなくですが、市中感染が広がってるという事というのかクラスター潰しからの次の戦略への移行を分科会は認めたくないの?っていう印象を受けてるんですね。

A 認めたくないって言うのもあるだろうし、そもそも分科会のメンバーの能力を疑問視している医師は多いですよ。

例えば、上の SEIR でも大雑把な方針は見えてくるじゃないですか。上では単純に E としたけど、現実的には「潜在的な陽性者」あたりがこれに該当する。これがある程度数値的に評価できていないと次にどうなるって予測ができないし、政策への提言なんてのもできない。
「市中感染がこれくらい広がっているから、規制を強化しましょう」とか「緩和されてきたので、自粛対象を縮小しましょう」とかってのが、今、一番必要とされていることじゃないですか。
広島はそれを「特定地域の全数調査」で確かめようとしているし、厚労省の一部は「市街地での不特定多数への検査」で概数を掴もうとしている。やり方の良し悪しはともかく意図は明確です。
でも、これ、本来は分科会の専門家が率先して言わないといけないことですよね。

臨床現場だとなおさらそうですが、そういう想像力が働かないリーダーって無能扱いされるんですよ。

ネット上の「ヤバい人」再録

出身研究室の合同OB会があったときに出たネタを某院生がブログに書いていたくれたのだが、諸々の事情で非公開になっていた。
けっこう面白いと思ったので、関係者の許可を取ってこちらに転載。


GW 期間中の某日、恒例の OB・OG を交えての懇親会があったのだが、そのとき話題に昇った「ヤバい人」が本当にやばかった話をまとめる。

以前にもどこかで、医師にはマナーの悪い人もいるみたいなことを書いたが、それはお金に汚い、とか理工系関係者に対する態度が尊大だ、程度のことだ。この人は筋金入りだった。某先生いわく「治療が必要なレベル。発達障害と人格障害を足して2で割って、さらにサイコパス要素も加えたようなレベル」だそうだ。粘着な感じも相当で、だから、ここではこちらが特定されないように「ヤバい人」という呼称を使わせてもらう。

技術的におかしなことを挙げていくときりがないし、今回伝えたいことはそういうことではないので、こういう特徴を持った人がいたらまともにかかわっちゃだめだよ!的な感じでまとめたい (^^;)

・態度が身分不相応に尊大。現実的には、社会的評価や業績に圧倒的ともいえる差があるにもかかわらず、特定の意にそぐわない行動を取る人を攻撃対象としかみていない。

・反論が幼稚にもかかわらず、なぜか自信満々。それっぽい反論を「後で」出したりするのだが、いかんせん、ポイントがつかめていないせいか、その反論も反論になっていない。

・理屈では勝てないとわかるとネット上で誹謗中傷かきまくり

やばすぎる。他にも特徴はあると思うが、特にネット上では、即座に力量がわかるわけではないから、こういった傾向を持った人には注意しなければならないと思った。


面白いと思ったのは、ネット上にこういった人は確かに多いこと。
精神科的観点からあれこれコメントしてみたい。

ところで、このブログでも度々より上げてきたドルフィンプロジェクトだが歴史的評価の段階に入った感がある。
あのプロジェクト内部にも上で述べたような感じのちょっと困った感じの人がいたんではないか?みたいな記事が、最近(2024年2月)チラホラ目につくようになった。

Monster Pseudo-Developer in Dolphin』あたりをご参考に。

(追記)歴史的評価といきたいところであったが、AI まとめが出鱈目記事書いているので、それ対策に追われた。
結果的に dolphin とライセンスと著作権関係がかなり整理されたと思う。

OpenOcean/Dolphin と職務著作と GPL
IT プロジェクトで避けて通れないのが職務著作というやつで、dolphin プロジェクトの歴史的発展に絡めてかなり平易に説明されてます。

OpenOcean 怪文書 -GPL 誤用による違法行為教唆-
職務著作などの概念がわかった上で、この記事↑読むと状況が頭に入ると思います。GPL 違反は海外の法的係争に至った案件で紹介されることもありますが、ああいうのは立派すぎて実感を伴わないものが多い。
実際に起こった事件を扱ったものではナンバーワンでしょう。


最近、やばい人、認定されたのは、この記事で取り上げられた人でしょう。
この人の場合は、日常生活では異常ではないと思う。
だが・・

たとえ通常時は常識的で善良な市民であっても、ひとたび「開発者」という名誉を独占するチャンスが見えた時、人は簡単に悪を働く、というのはオープンソース界隈で散々見てきた光景だ。2.7m 系のドキュメントを参考にしても、コードは 2.7 ベースにしておく、みたいなことはこれまでにも何度かあったのだ。  引用元

という事情はありそうですね。
OSS はよからぬ人を惹きつける魔力みたいなものはある。あるいは人間の中に潜むよからぬ部分を肥大化させると言ったらいいのか。

私がこの人に感じた違和感をメモしておく。

・PR が「無効になった」と主張するが、無効になってない。

・皆川和史の名前を削ぎ落とそうという意図が感じられるが、2003-2012 は Digital Globe が著作権を保有していたわけだから、そこは尊重しないと過剰編集になる。

・ビルドテストもできていない段階で権利を主張する。

・対話性がない。

・レビューされるのを恐れる。

などなど。

特に「レビューを恐れる」に関しては、流石にコメントしておく必要があるだろうか。
dolphin のコードは素を正せば e-dolphin 時代のものです。著作権所有者は変わってきましたが、あくまで「オープンソースとして開発」されたものです。
当然、オープンソースとしてのライセンスは引き継がれます。利用者には公開義務があるし、誰かがそれが適正に行われているかチェックする必要があるでしょう。その一環としてのレビューが嫌いだ、好まないというのであれば、利用をやめるべきでしょう。
公共財を使うということはそういうことです。

 

ANN2b